たかちほがある。船質は、高張力鋼、上部構造物はアルミ。V型船型をし、二八ノットである。
赤城丸は二隻いた。どちらも曳船で一九六経トンのほうは蒲郡船籍二九八総トンのほうは横浜船籍である。
*浅間山(あさま)
「いつとてかわが恋ひざらむちはやぶる浅間の山の煙だつとも」と紀貫之もうたった活火山。有史以来五十数回噴火を繰り返している。二、五六〇メートル。
浅間を命名由来とする最も有名な船と言えば、日本郵船が昭和四年にサンフランシスコ航路へ就航させ一世を風廃した戦前の豪華旅客船浅間丸(一六、九四七総トン)だろう。しかし、本船は、姉妹船の龍田丸・秩父丸とともに神社名から名付けられているので残念ながら山岳船名とはいえない。したがって、次に掲げる船名も“山からではなく神社からの命名だ”とお叱りをうけるかもしれないし、全く違う可能性もある。
浅間丸(二一五経トン)は三河港の曳船、あさま(二七総トン)は大蔵省、あさま(五六経トン)は三重県が所有している。
*筑波山(つくば)
山頂が男体山と女体山の二峰に分かれ、八六七メートルしかないこの山を百名山にいれた理由は、歴史の古いことだと著者はいっている。奈良朝初期の”常陸風土記“にすでに記事がみられる。名の請われはアイヌ語の”聳え立つ頭”の意味するツクバからとか、南方系チャム語で月の神がいる平野という意味のツクバからだという意味があるそうだ。
筑波山丸(一四六、五二七総トン)は商船三井のタンカーで平成元年進水。佐世保重工業が建造した。筑波丸(一六六総トン)は横浜船籍で沿岸仕様の曳船。
つくば(一六三総トン)は鹿島港の曳船。銚子海上保安部に前掲の巡視船つくば。つくば丸(四九九総トン)は内航貨物船で船主は大栄海運。
*白馬岳(しろうま)
越中、越後では大蓮華山と呼ばれたが、信州側では名がなく単に西山といった。それが、苗代掻をするころ山の残雪の消え跡が馬の形になって現れるので苗代馬の意味で代馬といい、代馬岳から白馬岳となった。ハクバ山は誤称。ただし、麓の村は白馬村というからややこしい。
ハクバマルを名乗るのは二隻ある。日本郵船のフルコンテナ船白馬丸(三六、七二三総トン)はデッキに四一四個、ハッチ内に一、一七〇個のコンテナが積める。日本海洋社の曳船白馬丸(二二五経トン)は、平成七年の進水で横浜船籍である。
もう一隻、ハクバと付けたのは国際高速フェリーの客船白馬(四九二総トン)だが、これは山岳名ではない。本船は昭和四十六年の進水で、前名は南洋丸、その前は筆三十島丸といった。筆者は以前下関海運支局勤務中に改造工事に触れたことがある。馬山港名の由来は馬は韓国の馬山港から採られ、白は日本(白地に赤の国旗)を意味し、就航航路を表している。平成八年十二月現在唐津港に係船中。
*鹿島槍岳(かしまやり)
明治以後、北アルプス山麓の鹿島部落から付けられた名。それ以前信州では、背比べとか鶴ケ岳、越中側では後立山と呼んだそうだ。
二、八八九メートル。
商船三井のタンカーに鹿島山丸(一三三、三五六総トン)があるが鹿島槍岳を鹿島山にしたのか、それとも鹿島山そのものがあるのかここでは前者と推察し掲げた。
*剣岳(つるぎ)
冬山登山でも有名。二、九九八メートル。日本の山の名で最も多いのは駒で次が剣だそうだ。百名山では四国の霊峰剣山(一、九九五メートル)もはいっている。
進水年月不詳で剣丸(二八総トン)というのが横須賀船籍でいた。船舶番号から推測すると昭和三十年半は過ぎの進水だろう。住東海事所有。
*立山(たて)
富士山・白山とあわせ日本三霊山として知られる山岳信仰の名峰。大汝山が最高峰(二、〇一五メートル)だが主峰は雄山である。
富山県水産試験所の調査船は、昭和五十四年の進水だが、立山丸(一五六経トン)と命名されて郷土の海を走り回っている。もう一隻の立山丸(一四九総トン)は漁船で長崎が船籍港だ。つづく。

 

 

 

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